森と生きた飛騨の人々

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木曽式伐木運材図会

日本は「木の文化」と言われます。近代以前の日本では、日用品・建築材・燃料などのあらゆる生活資源に木が活用されました。特に江戸、大阪などの都市部ではその消費量は膨大であったでしょう。しかし、機械や車のない昔はどのようにして木材は伐採され、運ばれたのでしょうか?
その答えは1つの絵巻物に記されております。長野県の中部森林管理局が所蔵する「木曽式伐木運材図会(きそしきばつぼくうんざいずえ)」は、江戸時代の林業の様子を記録した貴重な2巻の絵巻物です。タイトルに「木曽式」とありますが、そこに描かれているのは、当時の岐阜県下呂市の人々と飛騨川流域の様子が中心です。まさに私たち森林生活の所在地でもあります。
山に生きた先人たちの活き活きとした様子や、幕府の直轄地であった飛騨の地において最先端であろう伐採と輸送のシステム、そして飛騨の山から伊勢湾へ到達するまでの風景描写が、紙芝居のようなストーリーになって楽しめます。ここではその一部を紹介します。

【山カキ之図】
絵巻物は小坂村(下呂市小坂町)の山中付近の描写から始まります。当時、木を切る作業員は「杣(そま)」と呼び、その長は「杣頭(そまがしら)」と呼ばれました。江戸幕府の直轄地であった飛騨では、幕府の依頼によって地元の杣頭が翌年の伐採する山を選定し、木曽川に至るまでの目論見を行います。狩り出す木は数万本と言われ、熱田白鳥の貯木場(名古屋市)に輸送するまでに千人以上が関与する壮大なプロジェクトでした。
【杣小屋之図】
杣たちは例年、田植えが始まる5月頃に入山し、作業場の近くに杣小屋を建てました。伐採が終わる秋まではこの杣小屋を拠点として集団生活を行います。休みは月に1度の神事の時で、その日は酒宴が催されたようです。
【祭山神図】
山仕事に入る前に安全祈願のため、山神様に御神酒(おみき)を奉納します。深い山中での伐採作業は常に危険が伴う命がけの仕事でした。

【元伐之図】
木の伐採には「三つ紐切り」と呼ばれる手法がとられました。斧で3方向から切り込んで最後に支えを切ることで、木材の損傷を減らしながら狙った場所へ倒木ができるそうです。熟練した職人が斧のみで行う大変な作業でした。
【御山厘之図】
伐採した木はその場で枝打ちと皮剥きが行われます。樹皮を剥ぐことで木材の滑りが良くなり運搬しやすくなるそうです。先端が尖っているのは運搬中の木の割れを防ぐためです。
【株祭之図】
伐採した後の切り株には、その木の梢(こずえ)を挿して「山神様」に収穫への感謝を行います。自然への畏敬、感謝、木に霊が宿ると信じる先人たちの思いが、この1枚の絵からも伝わります。こうした山への感謝の気持ちは私たちも大切に受け継いでいかなければなりません。

【ヤナ之図】
秋になると伐採が終わり、木材を飛騨川まで運ぶ作業が始まります。運搬には主に、丸太を並べた道に谷水を汲みあげるなどして、木材を滑走させながら運ぶ方法がとられました。
【樋之図】
地形によっては谷の低い所から高い所へ木材を運ぶ必要があります。そのような場所は足場を組んで木材を引き上げました。道路が整備されていない当時では知恵と工夫によって難所の運搬を可能にしたようです。
【管狩之図】
秋が深まり渇水期になると、小さな谷から飛騨川に木材が落とされます。木材は流れに沿って下流へ運ばれますが、大岩などに挟まらないように地元の作業員である日用(ひよう)がサポートします。
【小桴之図】
川幅の広い場所や深い淵などでは、筏(いかだ)に乗った日用が鳶(とび)を使って滞留した木材を流します。飛騨の木材は管材であり、幕府の収入源になっておりました。その価値は当時「木1本、首一つ」と言われたそうで、1本たりとも見失う訳にはいきません。
【角乗之図】
熟練した日用の中には木材の上で曲乗りをする器用人もおりました。厳しい仕事の中でも遊び心を忘れない先人達に思わず顔もほころびますが、役人に献上されたと言われる絵巻物にこの場面を記録した作者も洒落た人物であっただろうと想像します。
【留綱張渡之図】
飛騨川の中流である下原村(下呂市金山町)に最初の綱場がありました。ここでは流れてきた木材を一旦留め置き、役人が一本一本、伐採の成果を改めます。綱の長さは170mあり、毎年春に村中の藤を集めて作られたそうです。今でも綱が縛られて変形した岩をこの地で見ることができます。
【切所掛り木之図其一〜其三】
飛騨川最大の難関が、上麻生(加茂郡七宗町)付近にあった通称「咽(のど)」です。絵からも見てわかるように、急峻な崖に挟まれた川の中央で咽仏のような大岩が隆起しており、木材の流路を妨げておりました。この「咽」で足止めをされた木材は、万力や轆轤(ろくろ)と言った大掛かりな装置で吊り上げるか、崖から人を乗せた籠を吊るして命がけで木材を流すしかありませんでした。

【桴乗下ゲ之図】
難所「咽」を通過して間もなく、木材は飛騨川の最終綱場である下麻生(加茂郡川辺町)に到着します。季節は雪が降る年の瀬の頃です。ここで木材は筏に組まれ、乗り手が操舵しながら再び下流を目指します。木曽川と合流した後、犬山、円城寺(羽島郡笠松町)あたりで川の流れが緩やかになるため、筏はさらに大きく組まれます。

初春

【尾州白鳥湊之図】
木々が芽吹き始める初春の頃、木曽川を下り終えた筏は熱田白鳥(名古屋市熱田区)の貯木場で解体され、陸路や海路を通じて全国へ輸送されます。こうして伐採から約1年がかりで運ばれた木材は、さらなる新天地へと旅立ちます。同じ頃、ようやく雪が溶け始めた飛騨の山里では、杣達がその年の入山に向けた準備を始めている頃でしょう。
【大船之図】
  • 参考文献
  • 木曽式伐木運材図絵:林野庁中部森林管理局所蔵
  • 飛騨下呂図録:下呂市